《Pray& Play ~祈り・捧げる》Kitakyuushu音の杜の会 コンサートVol.6
下記の2つは、2020.12.11付のかんまーむじーく のおがた代表の渡辺伸治氏の記事です。
掲載が遅くなりましたことをお詫びしつつ、謹んで掲載いたします。
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昨夜、中村滋延先生の新作リハを拝聴した後、先生と黒崎の夜に繰り出しました。
痛風だから、いえ、車なので、呑めません。
しかし中村先生との歓談は相変わらず楽しいです。
心に良き風を通してくれます。
先生が私に質問を。
私がクラシック音楽に馴染み始めた20代前半のころ、初めて接した無調音楽のパフォーマンスに心が沸き上がる衝動を覚えたのです。
先生は、それはどのように鑑賞を重ねればそうなれるのか?その道筋は現代音楽を身近ににする一つの導きにならないか?と言われるのです。
う~ん、一つ言えるとすればクラシック音楽を好きになる以前に、ジャズサクソフォン奏者、清水靖晃さんの実験音楽に傾倒した経験でしょうか?
影響大は間違いなしです。
しかし、その清水さんの音楽になぜ共鳴したのか?
思い当たるものは何もなく、自分の中に元々ある何かが嗜好させたとしか思えないのです。
音楽に限らず、全ての創造発信との共鳴との共鳴はそういうことではないのでしょうか?
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【今宵、黒崎へ。ぜひ!】
《Pray& Play ~祈り・捧げる》Kitakyuushu音の杜の会 コンサートVol.6
今夜19時より @黒崎ひびしんホール(北九州市八幡西区 JR黒崎駅南口より徒歩5分)
一般2000円、25歳以下1000円(当日500円増)
昨夜、中村滋延先生の新作《ドンキホーテ哀歌「喜劇でなく哀歌だ!」》のリハを拝聴させていただきました。
中村先生は、ドンキホーテの妄想・行いを自身の創作人生に重ねたそうです。
それは喜劇でなく哀歌であり、他人ごとには思えぬと…。
それは誰にでもありましょう。
コロナ禍で信じていた価値に懐疑的になった方は多いはずです。
真の価値とは何か?と自身に問う…そのようなことを考えさせられます。
《音の杜》は、2015年に北九州市・周辺を拠点とする(出身もあり)音楽家による異業種交流会(?)が機で設立したグループです。
プログラム構成は、あたかも和食から洋食、中華までなんでもありのコース料理のようですが、コロナ禍だからこそオーディエンスの心に深く刻みたいという曲を選んでおります。
今宵、黒崎へ。ぜひ!
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