第47回定演「タレイア・クァルテット」新聞掲載

 昨日、3日(日・祝)の西日本新聞筑豊版に掲載していただきました。

 私どもの演奏会の趣旨=音楽の核である弦楽四重奏を大切にし、それを振興の主軸としていることを、しかりと汲みとっていただき、眞にありがとうございます。


 今日は、《セリオーソ》から、当夜の中核である《大フーガ》に至るまでをお伝えいたします。


 ベートーヴェンは、1810年作の《セリオーソ》から14年ほど、弦楽四重奏曲の作曲から遠ざかることになり、この曲は中期四重奏曲の最後の曲となったのです。

 そうなったことは、彼のパトロンの一人、駐ウィーンのロシア大使、ラズモフスキー伯爵のお家事情によるのです。

 伯爵の屋敷が火災に遭い、財産を焼失、伯爵は隠遁生活を余儀なくすることに。


 当然、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の創作実験に貢献してきた、伯爵お抱えの四重奏団は解散の憂き目となったのです。

 1816年のことです。


 ところが、それから7年ほどを経て、この四重奏団が自主的に再編!

 当然、ベートーヴェンは弦楽四重奏曲の創作に燃えます!


 そこに彼の熱烈な信望者、ペテルブルクのガリツイン侯爵がベートーヴェンに弦楽四重奏曲の作曲を依頼したのです。

 それが後期四重奏曲の最初の3曲、第12番、第15番、第13番の《大フーガ》付ver.です。


 人類の至宝と名高いベートーヴェンの後期四重奏曲は、こうして、産声を上げたのでした。

 《第九》交響曲と時期を同じくしてのことです。

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