第32回直方谷尾美術館 室内楽定期演奏会
西野ゆか 山田百子 ヴァイオリン、吉田由紀子 ヴィオラ、大友肇 チェロ
日本を代表する弦楽四重奏団としてすっかり風格が備わったクァルテット・エクセルシオ。その著しい進境にはますます目を外せません。
今回の曲目はいずれも作曲者の人生の光と影がまざまざと描かれています。
その極めつけは終曲のB.スメタナの弦楽四重奏曲第1番ホ短調「我が生涯より」
演奏会プログラムの解説分を執筆しながら泣いてしまいました。
<その他>裏話:ステージのステップ
<予告編抜粋 2018.5.25>
第32回定期演奏会はクァルテット・エクセルシオの登場です。
11回を重ねて直方の聴衆の皆さんとはすっかり顔なじみとなりました。
彼らの求心力の高い演奏と気さくな人柄が純粋で厳格な弦楽四重奏曲を身近にしてくれ、本当に感謝です。
シリーズ10までベートーヴェンをメインに組んでおりましたが、前回より少し趣向を変えました。
それでもベートーヴェンは外せません。
初期の作品18から終曲の第6番。
この曲集を進めながら筆が熟成していったことを感じさせてくれる秀曲です。
後半は東欧の2巨匠の作品。
スロヴァキァのヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」はトルストイの同名の小説から霊感を得たもので、現実的な悲劇を音楽化したものです。
そして終曲は巨匠スメタナの生涯を音楽で語り奏でる「我が生涯」です。
乞うご期待!
<追記>
今回のこのアンコール曲「我が生涯より」の第3楽章のリピートは「かんまーむじーく のおがたの賛助会員で実行委員長が幼少の頃からお世話になったご婦人がお亡くなりになられたので、その追悼」という前置きの後、奏でられましたが、思わず涙がこぼれてしまった程の尋常ならざる情感のこもった演奏でした。
後日知ったのですが、クァルテット・エクセルシオ のメンバーもその打ち上げで何度もお世話になったというその思い出の方「花のれんのお母さん」。
以下は、渡辺氏の3回にわたる追悼文ですが、あの名演はこの方の今回のご逝去なくしては語れないと考え、敢えて記載いたしました。長文ですが、是非ご一読くださいませ。
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2018.1.15
賛助会員で、また私を個人的に励ましてくれた「花のれんのお母さん」。
その愛称で多くの人たちから慕われていた寺田勝代さんが11日に亡くなりました。
「花のれん」は息子さんの充ちゃんと31年間営んできた小料理店。充ちゃんの料理は和から洋まで何でも絶品!
室内楽定期演奏会の打ち上げに利用させていただいており、出演者からも大評判です。
お母さんは川筋女気質そのもの。
本音でぶつかり、情に厚く、そして涙もろい。
シンプルで可愛い人だった。
私にとってお母さんは「もう一人の母」でした。
私が生まれる前から幼少のころに父のお店に勤められ、忙しい母に代わって随分と抱きかかえてくれたものです。
(上の画像はそのころの「花のれんのお母さん」。抱きかかえられているのは私のいとこ。下の画像は当時の父のお店前で。「花のれんのお母さん」は前列左)
大人になってからは仕事や生活について随分と話を聞いてもらい、またお母さんの話も随分と聞きました。
喧嘩もよくしたもの。
だから喪失感がとてつもなく大きい。
クラシック音楽好きではないのに、室内楽定期演奏会の賛助会員になって応援してくれました。
「昨日の演奏会は鳥肌が立ったよ!」、「あの4人組(クァルテット・エクセルシオ)はいいね~。私でも判るよ。」とお母さんの感想は的を得ていた。
怪我や病気を沢山されましたが生きる意志がとても強く、入院する時も「やつけてくるね!」と言い、そうしてきました。
しかし今回は敵わなかったのです。
何度かの入退院の後、年末に自宅療養中に意識不明となり救急搬送されました。
見舞いに行っても会話ができないでしょうと充ちゃんから言われました。
しかし私が伺った日に意識が戻り、会話は普通にできたのです。
まるで私を来るのを待っていたかのよう。
お母さんの生きる意志の強さに驚かされました。
年明けて見舞いに行ったときは比べようもないほど容体が悪くなっていました。
私が来たことは判ってくれましたが、その後は眠られ、私は肩をさすってあげるしかできなかったのです。
その2日後に逝かれました。
私を呼んだのでしょうか?
お母さんは余命が長くないことを知り、自分の通夜・葬儀を事前に構成されていたそうです。そして参列された方への御礼の手紙を書いていたのでした。自分の生涯の断片を綴った詩がお母さんの書で綴られ、手紙と一緒に展示されていました。
見事な最期です。
涙が溢れるのを止められませんでした。
沢山ご苦労をなされましたが、多くの方々に慕われ幸せだったはずです。
お母さんを慕っている私たちの喜怒哀楽を空の上から見ていてください。
お母さん、ありがとう!
これからもよろしくお願いします。
2018.1.19
花のれんのお母さんが亡くなられた後、「充ちゃん(息子さん)はずっと泣き暮れている」とお嫁さんの千賀ちゃん。
花のれんは昨日から営業を始め、お母さんを慕っていた方々が集まりお母さんを語り偲ぶ。
お母さんは川筋気質で、人と本気でぶつかる。
充ちゃんもそうだから、二人は私たち客の前でよく喧嘩をしていました。
私たちが仲裁に入ることもしばしば。
今思えばそれがお母さん、充ちゃん、花のれんを身近に感じさせていました。
「伸ちゃん(私はこう呼ばれています)もよくババ(お母さん)と喧嘩したね」と充ちゃん。
だから喪失感が半端なく大きい(涙)。
随分前のこと、売り言葉に買い言葉で決裂。
お母さん「あんたとはもう終わりだね!」
私「もう2度と来ないよ!」
翌日、お母さんは充ちゃんに昨夜の顛末を話された。
充ちゃんは料理を作りながら「大丈夫、大丈夫。伸ちゃんはまた来るよ。」と笑う。
ガラッ(お店の戸が開く音)!
「ほら、もう来たよ。」と充ちゃん。
昨日の今日、私とお母さんはきまり悪そうに顔を合わせた(笑)。
2018.1.26
花のれんのお母さんは涙もろい。
喜びに感極まった時は、人のことであっても大きな瞳から涙をこぼす。
その逆もあり。
随分前に私が粗相をやらかした時は、お母さんは大泣きで私を叱り諭した。
お母さん、あの時はごめんなさい。
お母さんは一昨年の年末に交通事故に遭いました。
命に別状なしが不思議なほどの。
お母さんは年明けて早々の私が主催する直方谷尾美術館室内楽定期演奏会を楽しみしていました。
当夜は河野文昭さん(東京藝術大学教授)のチェロ・リサイタルでした。
1989―94年、私は最初のクラシック音楽普及を手がけ、岸邉百百雄さん(元・京都市立芸術大学教授)主宰の弦楽四重奏団の定期演奏会を直方市で開催していました。
河野さんはその四重奏団のチェリストだったのです。
お酒が大好きな河野さんは、お母さんと息子さんの充ちゃんの手料理のファンとなり、時々直方に宿泊され、花のれんで杯を交わし語り合いました。
一方でお母さんも河野さんの穏やかな雰囲気に惹かれ、お二人の間に温かい心の交流が生まれたのです。
この四重奏団が解散した後もお母さんは「また河野先生に会いたい」とよく言われていました。
10年ほど前に北九州市で河野さんが公演をされた時、直方に寄ってくださり花のれんで宴会を企画。
およそ15年ぶりの再会にお二人は喜んでくださいました。
このような経緯がありましたから、お母さんは河野さんのリサイタルが聴け、終演後に花のれんで料理をふるまえることを心待ちにしていたのです。
そこで私は河野さんに公演日の朝に入院中のお母さんのお見舞いをお願いしました。
河野さんと会うやいなや、お母さんは大感激で涙。
河野さんはお母さんに「また直方で演奏会をさせてもらうから、会場と花のれんでお会いしましょう」と心からの言葉をかけてくださいました。
お母さんは「伸ちゃん、ありがとうね、ありがとうね」と泣きじゃくる。
愚息のささやかな親孝行でした。
次の再会が果たせなかったことが、私も河野さんも残念で仕方がありません。
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