2021.02.24 15:00朝日新聞文化財団の助成採択、決定。感謝。見てくださっている方はちゃんといるんだなぁ。。。と荒んだ心がホッと弛んだような気がしました。本当に有難いことです。-♪-♪-♪-♪-♪-♪-♪-♪-♪-♪-♪- 再延期、延期が続き、心がどんよりしていたところに吉報が。 朝日新聞文化財団より、助成採択されました。 ここ数年、申請している奇数年度は毎年助成をいただいておりますが、この財団の...
2021.02.15 03:00亡き師はかく語りき 最終回 師の命日に 1956年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の初来日、敗戦国だったオーストリアが10年に及ぶ占領から解放され、独立し、初めての本格的な海外公演だったこと。 指揮者に反ナチのパウル・ヒンデミットを擁し、同じ敗戦国を訪れたこと。 それらを教えてくださったのは、日本のファゴットの第一者であります馬込勇さん。 馬込さんは高校卒業後、ウィーン国...
2021.02.15 02:00亡き師はかく語りき⑪ 独立国家のオーケストラとして 1956年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の初来日公演は、この世界随一のオーケストラにとって、歴史的にとても意味深いものであったことを、ある方より教えていただき、私は呆然となったのでした。 オーストリアは第2次世界大戦中にナチス・ドイツに併合され、ウィーン楽友協会は解散を逃れたものの、ナチスの支配下となってしまうのです。 詳細は下記...
2021.02.15 01:00亡き師はかく語りき⑩ 時空を超えて この連載投稿のために、亡き馬場先生がウィーン留学を決意した、ウィーン・フィルの1956年の初来日の写真や資料をWebであれこれ探していました。 そして私はとんでもないものに出くわしたのです。 なんとその公演プログラム。 それがあるweb古書店の在庫にあったのです。
2021.02.15 00:00亡き師はかく語りき⑨ 偉大なる音楽家 私たちの世代のウィーンの弦楽四重奏団と言えば、ライナー・キュッヒルのウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団、ウェルナー・ヒンクのウィーン弦楽四重奏団、アルバン・ベルク四重奏団が筆頭ではないでしょうか? 彼ら以外にもウィーンには弦楽四重奏団はしこたまあり、つくづく弦楽四重奏というジャンルが生まれ発展した地であることを知らされます。 1番人...
2021.02.14 23:00亡き師はかく語りき⑧ 弦楽四重奏三昧 「伸治の大好きなバリリ四重奏団はね、ウィーンではウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団と呼ばれるのだよ。」 レッスン後のいつものダベリの時間、亡き馬場先生はこう切り出したのです。 ウィーン・ムジクフェライン弦楽四重奏団はウィーン楽友協会ホールの小ホール、ブラームス・ザールの専属四重奏団です。 コンサートマスターと首席奏者からなり、初代の...
2021.02.14 22:00亡き師はかく語りき⑦ 大いなる学友ⅲ 故・馬場省一先生のウィーンでの学友として、挙げないわけにはいかない方。 生涯の盟友となったヴァイオリニストの岸邉百百雄さんです。 岸邉さんはウィーン留学中(1958-64年)、後にアルバンベルク弦楽四重奏団を組織するギュンター・ピヒラーやトマス・カクシュカらと、ヴィナー・ゾリステンの設立に関わります(62年、岸邉さんはヴィナー・ゾリステ...
2021.02.14 21:00亡き師はかく語りき⑥ 大いなる学友ⅱ 前回の投稿でフランツ・バルトロメイと学友ということで驚きの声をいただきました。 しかし馬場先生は1960~63年にウィーン国立音楽大学で学ばれたのですから、当時20歳前後、現在80歳前後のウィーンの音楽家が学友ということになります。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者であれば、1970年から2000年代初めまでに所属・活躍した猛者...
2021.02.14 20:00亡き師はかく語りき⑤ 大いなる学友ⅰ 良き学友に恵まれると、より一層、学びが有意義になるばかりか、一生の友としての付き合いに至ることもあります。 「ウィーン・フィルにバルトロメイという首席チェリストがいるだろう?ウィーンでは、バルトロメイと同じクラスだったんだよ。素晴らしい才能で、クローチャック先生は特に可愛がっていた。ヘッドにライオンの頭が彫られている彼のチェロ(テヒラ...
2021.02.14 19:00亡き師はかく語りき④ ナチス 「クローチャック先生はナチス党員だったんだよ。だから、戦時中、不足していた砂糖や楽弓の入手、独奏者の起用に恵まれていたんだ。」馬場省一先生の発言に驚かされました(下記画像:カールベーム指揮、ウォルフガング・シュナイダーハン、リヒャウト・クローチャック独奏、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団。1941年=戦時中)。
2021.02.14 18:00亡き師はかく語りき③ ウィーン留学前夜 東京藝術大学の学生だった馬場先生はウィーン留学への野望を燻らせるが、資金の工面などの問題を抱えていました。 当時、音楽の勉強には現在よりもお金がかかり、海外の渡航費がしこたま高く留学はなおのことでした。 また簡単に渡航できず、制限があったそうです。 (;一_一) ところが58年、東京藝術大学専修科(現在の大学院修士課程の前身?)を卒業し...
2021.02.14 17:00亡き師はかく語りき② ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 初来日 1956年、ウィーン・フィルが初来日しました。 指揮者は作曲家、ヴィオラ奏者でもあるパウル・ヒンデミット。 オーケストラは50人ばかりの小編成で、協奏曲では楽団員が独奏を務めました。 4月9日から27日までに公演総数なんと17回という超ハードスケジュール。 ( ̄▽ ̄;) 九州でも18日北九州市八幡製鉄体育館、翌19日福岡朝日会館の2公演...